自衛隊を再び「日陰者」にするのか
2014-07-03


自衛隊は「日陰者」になりました。

自衛隊は当初、朝鮮戦争を機に警察予備隊として発足、その後、保安隊と名を変え、現在の自衛隊となりました。
元々、日本国憲法は9条で戦力不保持を謳っていますから、当初、自衛隊は憲法違反という意見が強く、社会的に「日陰者」扱いの雰囲気があったようです。実際、吉田茂首相(当時)は1957年の防衛大学校卒業式での訓示で、「君達(自衛隊)が日陰者である時の方が国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」と述べたと言います。
私が中学、高校の頃(40年近く前)にはまだ自衛隊違憲論も根強く、そのような雰囲気も残っていたと思います。

その後、時間を掛け、また災害救助での活動も重ねる中、自衛隊の社会的認知度は高まり、今では自衛隊に違和感を覚える人は殆どいないでしょう。
ですが憲法9条との関係は常に意識され、その活動範囲を考える時は国会でも国民の間でも多くの議論がなされてきました。

その結果として、その議論の結論がどうであれ、それに基づく自衛隊の活動は国民の認識の下になされることとなり、それは時に生命を懸ける状況で活動を行う隊員たちにとって、大きなアイデンティティとなってきたのではないでしょうか?

9条との関係で常に深く意識され議論されることで、自衛隊を肯定するか否定するかの意見・立場に関わらず、自衛隊は日本国憲法と共にあったのだと言えます。

しかし、安倍政権は、その憲法の規程に関わらず、内閣が、突き詰めれば内閣総理大臣がその解釈によって自衛隊の活動を決められるのだ、と閣議決定しました。ロクな国会での議論もないまま、真っ当な国民への説明も行わず、与党内の内輪の者だけで行ったのです。
(現場を知る者にとっては非現実的な状況設定を理由にし、母子のイラストで情緒に訴えるような会見を、国民への説明とでも言うのでしょうか?)

そんな決定は日本国憲法に基づくものでも、広範な国民による議論、認識に基づくものでもありません。その安倍政権の決定に基づくこれからの自衛隊の活動も同様ということです。

自衛隊はこの先、海外で、戦場で、人を殺し、殺されることに晒されながら、生命を掛けた活動を行う事になるでしょう。しかしそのバックには、国民の議論も認識も無いのです。
それは隊員にとって、どんなにか心許ないものかと想像します。

自衛隊は日本国憲法の「日陰者」として産まれ、今また、「日陰者」にされようとしています。
そうしたのは、安倍晋三です。
[社会・時事]

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